Super Utility Darling
          http://s-utility.s27.xrea.com/

   TOPFIRSTNOVELDIARYOTHERSLINKMAIL

ADVERTIZEMENT

 

空気が、僅かな熱を残して急速に冷えてゆく。

秒針の音さえもまるで反響するかのような静寂が、自分を包んでいた。


沈黙が続くとその静けさはより一層大きな物音になって、耳の中をノイズのように渦巻いた。



何度振り払っても消えない、不快な考えが何ゆえなのか、自分には分からない。

「Obsession」

「お前はこんな所で何をしている」

頭の上から降ってきた言葉に、ああ、自分は今部室で寝てたんだ…と俺は思い出した。
見上げた白い壁、キッチリと嵌った曇りガラスの向こうは空高く晴れてはいるが、時折吹く風に気温ほどの暖かさは無い。
ガラスの向こうのぼんやりとした光の中に銀杏の陰が揺れている。
こんな日和に屋上で寝ては体が冷える、と40分ほど前にここにふらふらと辿り着いて無造作に倒れると、あることを考えていたが、何時の間にか意識を飛ばしていたらしい。


「………センパイのことを待ってたってのは、どうです?」

「ゴミクズにまみれてか。いい布団だな、御柳」

気が付くと、身体の下には洗ってないユニフォームやタオルを筆頭に、何かの空き箱とか使い終わったテーピング等がどっさり下敷きになっていて。どんな場所でも気持ち良く眠りに落ちるのが自分の特技であることは野球部内では周知の事実だが、むしろ少々埃っぽいことを除けば悪くはない布団だったが…。
俺は制服の埃を払うと首をゴキゴキ回しながら屑桐さんを見上げた。

「床ぐらいしか寝る場所が無いんです」

「教えてやろうか。部室は昼寝をする場所ではないからだ。さっさと授業に行け」

呆れる屑桐さんとは逆に自分の声色はからかいを含んで明るい。その心の内は裏腹にどこか暗くひずんでいるのに。
声をかけられた直後はまだ半分ほどフラフラとうたた寝の世界に居たのだが、体温の残る床から身を起こすと、少しずつ意識は冴えつつあった。
何故彼がここに居るのか、気だるさの残る体を引き摺って立ち上がると、俺は彼の前に立ち並ぶ部員用のロッカーにもたれた。背にひんやりとしたロッカーの感触が染みる。そして、スチール製のそれに向かって何やら作業を始める生真面目そうな横顔を、顎をそらし、覗き込んだ。

「屑桐さんは何しに来てんの?こんな時間に」

「お前と違って3年は選択授業なんだ。俺は空き枠なんだ、この時間は。部室の片付けついでに日誌を整頓しようと思って、来たところだ」

「ええーー。なんでアンタがそんなことすんの?他の奴にやらせれば良いじゃん。あ、俺手伝ってあげましょーか」

「この程度のこと、いちいち他人に指示してやらせるほうが面倒臭い。そしてお前の助けなど要らん。授業を受けろ」

鬱々としている自分と同様に、彼も俺を構う気分ではないらしかった。冷たく言い放つとさっさと片付けを始めてしまう。
正味な話、こんな所に二人でいてこういうふうに相手にもされないのは流石に面白くはない。
が、帰れと言われて無理やり手伝うことも出来ない。結局ただ後ろから眺めていることになった。

外のグラウンドには今誰も居ないらしい。彼が黙々と作業を続けると、窓も出入り口もきっちりと閉ざされたここでは遠くの物音は遮断され――実際には何か聞こえてきているのかもしれないが――音も無い空間で外の光だけが、僅かに強くなったり弱くなったりしているような気がした。
沈黙は苦手だ。

耐え難い静けさを打ち消すように、俺は何か喋ろうと思った。

「ねえアンタってさぁ」

「……」

「結構色気有るよねえ」

「……は?」

飛び出てきたのは…自分自身でも流石にバカなんじゃないかと思う台詞だったが、しかし、先刻までの自分の思考とあながち反しているとも言えなかった。屑桐さんのことを考えていたのは確かだったから。にもかかわらず、一体何を思っていたか、それを上手く言葉にすることも今の自分には出来なかった。

「ヘンな男に目ェつけられるでしょ」

「…それは今お前に目をつけられていることか?」

いつも通りの軽い調子で、誰かに何か面白いことを語りかけるときの声色で、俺は彼に話し掛ける。

俺の頭を散々廻り廻ってひずんだ考えは具体的な悪意となって、眼の前に立っている対象に向けられようとしていた。


「えー、じゃあ電車ン中でケツ触られたり柔道部のヤツに告られたりするでしょ」

「せんわ。阿呆か…俺は男に告白などされたこともないし、尻なんぞ触られたら反射的に殴る」

この人はどんな時でも、自分のように何かぼかしたり、誤魔化しながら相手の様子を覗ったりということをしなくて、自分はこの先輩のそういうところを気に入っていた。
同時に、触れたくないことにはさっぱり触れず、おくびにも出さないのだが。別に良い、話したくないんなら。話さなければ良い。
だが、彼のその誠実さゆえに、自分のような人間には滑稽に見える時も有った。
俺は心底可笑しくてケタケタ笑った。

「鉄拳制裁っスねえ。でも案外そのケあるかもしれませんよ?試してみましょうかー?ホラ」

俺はふざけた振りをして、屑桐さんの首に後ろから片腕で抱きつくと、そのままもう片方の手を太腿の辺りに回して、怪しげにさすった。

「ほーらこうやってたら目覚めちゃうかも」

その裏に別段どんな感情も存在しないかのように。強いて言えば、有るのは軽いからかいの意図だけ、といったところだったが、それ以上の嫌悪を彼が示したので俺は少しばかりほくそえんだ。

「馬鹿なことをするな。手を離せ」

「嫌です」

「何を言ってる。いい加減にしろ」

まあこの手の冗談が通じるほうだとは思ってないけど、それだけでもないんじゃないの?
屑桐さんが鬱陶しそうに俺を手で振り払おうとしたので、それを受け止めて腕を引っ張るとこちらに向かせた。そして、真剣そうな表情を作る。

「先輩のことが、好きです」

「!?」

抵抗の力が一瞬止んだ。
驚愕で俺の顔を見返す屑桐さんと目が合う。動揺に動きが止まったのを良いことに、体を撫で上げて。胸に這わせた指を動かし、耳に唇を寄せて息を吹きかけた。
その途端に、激しい抵抗は再開される。
屑桐さんは語気を荒げて言った。

「冗談は通じる相手にだけやれ。殴られたいのか?」

ギリリと睨み付けられた瞳の中には羞恥と怒りの炎が燃え上がっている。俺は自分でもゾっとするほど冷たい笑いが腹の底から込み上げてくるのを感じた。

「冗談なんかじゃ。だって屑桐さん、あの人と、
――――十二支の主将と寝たことあんでしょ?」


キッと俺を見据える目が僅かに見開くのが分かった。

「な……何を……――――――」


その続きは待っても、無かった。今度は俺から彼を見据える。

「だったら先輩はこういうことにも慣れてるし、俺も相手にしてもらえると思いました」

「まっ待て…!」

何かを言おうとする屑桐さんを遮るように手首を掴むと、もう一方をも掴んで纏め上げようと試みる。つかまれた手を振り切ろうと屑桐さんは滅茶苦茶に抵抗してきたが、俺は対照的に、自分でも不思議なくらいに冷静だった。
そして、屑桐さんが高校入学から程なくして名門華武のエースピッチャーを務めるようになったことなどを考えていた。
たった一年で、エースの座を奪って、それからの無敗神話はもうその名の通り、伝説と言えるんだろう。ま、この地区にはショボい雑魚ばっか、ってのもあるけど。
でもそんなこの人も、試合中のプレッシャーなんかには滅法強いこの人も、こういう精神攻撃には驚くほど無力なわけで――
俺は口端を吊り上げて笑った。
結局人間鍛えてない部分は強くはなれないってことですか、先輩。どんなに強く、見えても。

 

未だ、屑桐さんの目はどこか焦点が定まらないように見える。
顔目掛けて飛んでくる拳を軽く受け流すと、彼が正気に戻る前に、俺は向こうの腰からベルトを引き抜き両腕を拘束した。