Super Utility Darling
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「くもりのち、晴れ」

 

 練習が終わる頃には、もう夜が始まっていた。


 「そろそろ僕たちも三年生だね」

 春休み中も絶え間なく続く練習の帰り道、隣を歩く牛尾がぽつりと呟いた。
 鹿目は、定規ひとつ分高い位置にある彼の横顔をふり仰ぐ。
 この身長差を少しでも縮めようと、鹿目は毎日牛乳を飲んでは背比べを挑んでいる。しかし、今のところ15cm定規マイナスちょっと、という不名誉な記録は更新できそうにない。


「そうだな・・・とうとう最終学年なのだ」
 最終学年。それは今年までの野球部にとっては深い意味のある言葉だった。完全な年功序列制を敷いている状況下では、実力に関わらず、レギュラーは全て最終学年から選ばれていた。
 その不条理なシステムに翻弄されたのは、何も二人だけに限ったことではない。しかし、上級生からも一目置かれる実力者の鹿目と牛尾は、そのシステムの理不尽さを誰よりも骨身に染みて感じていた。
「・・・長かったな。やっとここまで来た、という感じなのだ」
 練習で疲れきった頭に、二年間の記憶がゆっくりと流れていく。どちらかというと楽しいことより苦しいことの方が多いのは、なにも実力を評価されなかったせいだけではない。
 不条理なシステムは冷遇された側だけでなく、優遇される側も歪ませる。自分たち二年生たちは優れた才能の者が多かったせいか、上級生からの風当たりもひときわきつかった。
「そうだね・・・色々有ったからね」
 だいぶ寒さの緩んできた夜気に響く牛尾の声も、感慨深げだ。しばらくの間、昔とは言えないくらい近しい過去の出来事に、二人して思いを馳せていた。


 しかし、自分たちに辛酸を舐めさせたその不条理なシステムも、あと数日の命だ。外から来た実力至上主義の監督が、新しく就任するのだ。
 鹿目はそのことを喜ぶ反面、どこかしら整理のつかない気持ちを抱えていた。
 自分たちは二年間、苦しい思いを一心に我慢していたのに―――そういう感情をもつことは狭量だと、理解はしている。しかしやはり心のどこかで素直に喜べない自分がいることも事実だった。

 『僕はね、鹿目くん。新しい時代が来るのがとても嬉しいよ。
  だって、今年こそ十二支高校に再び栄冠を取り戻せるかもしれないんだからね』
 新監督の就任を聞いたとき、牛尾はそう言って微笑んだ。心底嬉しそうに。
 しかし、その純粋な喜びに触れるたびに、鹿目の心に棘が生まれた。

 誰よりも古いシステムに苦しめらてきた、牛尾。その努力と忍耐を一番近くで見てきた鹿目は、自分のことのように悔しく思っていたのだ。

 なのに彼はそんな鹿目の思いなどお構いなしに、新しい時代の到来を屈託なく喜んでしまえるのだ。

 彼の真っ直ぐなところが好きなのに―――その真っ直ぐさに、苦しめられている。どうしても彼のように、人間的に大人になれない自分の未熟さを実感させられる。

 どんなに近くにいても結局のところ、自分と彼の間にはとんでもなく大きな距離があるのだと。それこそ定規一本なんかじゃ足りないくらいの、絶望的な差が。

 


 「でもね、鹿目くん」
 中途半端な長さの沈黙の間に、何を考えていたのだろうか。牛尾は、やたらに嬉しそうに鹿目の顔を覗き込んできた。
「僕は嬉しいんだよ」
 ほら、また。『僕たちの代で古いシステムが終わることが』とか『みんなが力いっぱい競い合って実力を高めあう部活動を』とか言い出すんだ。
 鹿目はやるせない気持ちになって、牛尾をにらみつけた。その視線にこめられた非難を、エスパーでない牛尾は当然、読み取れない。
「・・・また、新監督の就任の話か?」
「え?・・・あぁ、それも嬉しいんだけど」
 お互いの感情を探り合うほんの少しの時間の後、牛尾の目がすぅっと細められた。まるで眩しいものでも見るときのように。
「前のシステムも、結果的に悪くなかったって、今は思うよ」
「・・・え?」
 鹿目は思わず自分の耳を疑った。
「よく考えれば、鹿目くんとこんなに仲良くなれたのも、そのお陰だしね」
「・・・・・・」
「だって、君の性格だったら絶対に、あんな逆境下じゃないとポジション的に関係の薄い僕と仲良くしようなんて思ってくれなかっただろ?」
 この男、自分が苦しかった過去を思い出したり、精神年齢の差に悩んだりしている間に、そんな呑気なことを考えてやがったのか。唖然としている鹿目をよそに、牛尾はたやすくその手を掴んで引き寄せた。
「・・・そう考えると得したかも知れないって思うんだ。最近はね」
 そしてそのまま当たり前のように手を繋いで、歩き出す。


「・・・」
 歩幅の広い牛尾に自然と引っ張られるかたちになって、鹿目はその後姿をぼんやりと眺めていた。彼の背中は広くて真っ直ぐで、自分には無い『大人』を感じさせる。
 しかし鹿目が何度そうやって牛尾を遠く感じたとしても、いつだって彼は飛び越えてきてしまうのだ。悲しいくらいに長く感じた距離を、いとも簡単に。
「牛尾」
「何だい?」
 そしてそのたびに、鹿目の胸のもやもやはどこかに吹き飛んでしまう。
「・・・お前の手は、あったかいのだ」
 マイペースなのか器が大きいのか良く分からない恋人の手を、鹿目はそっと握り返した。繋いだ手から伝わるのが体温だけなのが、ひどくもどかしい。
「そうかい? いつも手袋をしているからかもしれないね」
「・・・その手袋、外せ。邪魔なのだ」
「うん、外すよ」
 ゆっくりと振り向いた牛尾の目に悪戯な笑みが潜んでいるのを、鹿目は見逃さなかった。
「・・・変なこと企んでないか? 牛尾」
「ははは、企んでなんてないよ」
 牛尾はそのまま、小柄な鹿目を街灯の光から隠すように抱きすくめる。
「・・・や、やっぱり企んでるのだ!!」
「変なことじゃないよ。好きなんだから」
 全く噛みあっていない会話はすぐに途切れて、アスファルトに長く落とされた二人の影が、そっと重なった。


「・・・全く、油断も隙もあったもんじゃないのだ」
「・・・いやだった?」
「―――っ、そうじゃなくって!!
 こんなところで、誰かが通ったらどうするのだっ!!」
「あ、そうか。じゃあ、今から僕の家に来るかい?」
「・・・却下っ」
 頬を薄紅色に染めたまま、自分の方を見ようとしない恋人の様子に、牛尾は思わず頬を緩ませた。鹿目がどんなに怖い顔をしてみせても、くちづけで甘くなった胸の中には、その迫力は伝わってこない。
「君のお家にお邪魔するんでも、僕はいっこうに構わないけど」
「・・・この馬鹿っ!! お前が家で何かやらかしたら、おばあちゃんが卒倒するのだ!!」
 普段より厳しい鹿目の悪態にも、牛尾はただ、にこにこと微笑むだけだった。
「だいたい、この手からしてまずいんだぞ。いつまで繋いでる気だ?」
 なんてことを言いながらも、絶対自分からは離そうとしない鹿目の気持ちなど、牛尾は最初からちゃんとお見通しだ。
「そうだな、君を甲子園に連れて行くまで、かな」
「・・・なっ・・・」
 もともと紅潮しかかっていた顔が、ますます朱を帯びる。道のど真ん中で気恥ずかしい台詞を吐かれるのはこれが最初ではないものの、慣れない鹿目はやはり黙り込んでしまう。
 その様子を牛尾は楽しそうに観察していた。
 すると―――
「・・・それは、違うのだ」
 手を繋いでいなければ聞こえないくらいの小さな声で、鹿目が呟いた。
「僕はお前に、甲子園に『連れて行ってもらう』つもりなんか、無い。僕と牛尾は、『一緒に』甲子園に行くのだ・・・それを、間違えるな」
「―――うん」
「むしろ僕の方が十二支を甲子園に連れていってやる、というくらいなのだ。なにせこの僕には、二年間かけて鍛えた剃刀カーブがあるんだからな」
 それだけ言うと、鹿目はいつものように偉そうに胸を張った。牛尾はそれを横目で見ながら、絡めた指にいっそう力をこめる。
「そうだね・・・今までの練習を無駄にしないように、これからももっとずっと頑張ろう。それで夏になったら、僕たちの野球を全国の人たちに見せてあげようよ」
 返事の代わりに握り返された指から、お互いの気持ちがじんわりと滲んでいく。
 二人は違う人間だから、すれ違うこともあれば、遠く感じることもある。しかし、今このときだけは―――二人の思いはひとつだった。
「一緒に、行こう」


 夜風に吹き散らされた桜の花びらが、二人の肩にも舞い落ちる。新しい季節は、すぐそこまで来ていた。