Super Utility Darling
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「狂犬病―hydrophobia―」



 月すら暗い夜の中、二つの体が絡まっている。
「………っ」
 押し殺してもせり上がる快楽を、堪えるために唇を噛む――――自分の指が褐色の肌をなぞるたびにそんな不毛な行為を繰り返している犬飼を、芭唐は冷たくせせら笑った。
「……キモチイイなら、声、出せば?」
「………………だれっ……がっ………!!」
 耳に吹き込まれた声に体は震え、拒絶の声さえ艶を帯びて。それでもなお、体中を這い回る快感に抗おうと、犬飼は理性を総動員する。しかし、幼馴染に組み敷かれて難無く犯されようとしているこの現状を認識することは、体に宿った情欲の炎に油を注ぐ結果にしかならなかった。

 芭唐が彼を抱くのは、初めてでは無かった。それはある日突然、理不尽な暴力として、犬飼の日常に土足で上がりこんできた。
 通り過ぎたものをズタズタに破壊する台風のように無意味なこの暴行は、幾度目になっても何の言い訳も意味も与えられない。
 だから犬飼にとって、これには何の理由もない。ただ痛みと屈辱と、毒のように甘い快楽があるのみの―――――

 ――――ならば幻か。このひりつくような胸の熱さは。


 「………ぐっ……ぁっ…」
 すぐに自分の手に堕ちると判っているのなら、どんな堅牢な理性の砦もただただ滑稽なだけで。まるで砂の城が崩れるようにあっさりと暴かれていく獲物の獣性に、芭唐は薄く笑った。
「つまんねーな……もっと鳴けって言ってんだけど……」
「………っ………てめ………ぇ………っあ!!」
「あぁ、それともこれってお前なりのサービス? たしかに我慢してる時の方が、顔、エロイよなぁ」
 胸を啄み、脇腹を撫で、敏感な耳を舌で探る。幾度も蹂躙された体は過去をなぞるように素直に反応し、捕食者は満足そうに瞳を細めた。

 しかし熱くなる体と裏腹に、心の片隅で何かが死んでいくような妙な感覚を芭唐は味わっていた。
 ―――これは自分の性欲と征服欲を満たすだけの、それだけの行為。
 実際、いつも仏頂面で不遜な幼馴染を自分の下でさんざんに泣かせるのは楽しかったし、体の相性だけは気が狂いそうなほど良かった。引き締まった体に無理やり押し入った時の、骨まで灼かれるような熱に溺れるのが好きだった。
 だがそれも言ってみれば一時の気紛れで、芭唐にとってはゲームのようなものでしかなく――――

 ――――だから幻だ。この胸を蝕むささやかな虚無の気配は。





 食われているのは、どちらなのか――――快楽の渦に飲まれてしまえば、それすらも曖昧になる。何度目かの絶頂を迎えて、汚れたシーツに倒れこむように、二人は転がった。その微妙な衝撃にさえ、慣れた体は反応してしまう。
「………ぐっ」
「まだ足りないのか?」
 吐き出した熱で濁った部屋の空気に、芭唐のくぐもった笑い声が吸い込まれていった。
返す言葉の一つも無いまま、犬飼は芭唐をきつく睨む。どんな罵倒を浴びせたところで、この男は何も感じないのだろう。征服欲、嗜虐心、暇つぶし――――彼にとっては他愛のない、残酷な衝動で、平気で他人を壊していくこの男は。

 犬飼の射るような視線を全身に浴びても、芭唐はまるで平気だった。それどころか、何かを企んでいるような表情でにやりと笑うと、再び犬飼の方へと手を伸ばす。
「……っ、触んな…」
 当然、そんな言葉で止まるような芭唐ではない。
 何の気まぐれか自分でもわからないままに、忙しなく息をつく口もとに手を伸ばす。苦しげに伏せられた目蓋をなぞろうとして、やめた。

「死んだほうがマシって顔してんな」
「………っ、当たり前だろ……お前なんかに、こんな……」
「そっか。じゃ、殺してやろっか?」
「……え?」
 暗闇に浮かぶ白い左手が、舞うようにブロンズの肌へと降り立ち、そのまま首へと絡みつく。そして素早く体を回転させると、犬飼の上に馬乗りになった。
「……ご褒美だ。イイ声で鳴けた、な」
 じわじわと左手に力を込めながら、もう一方の手で唇をなぞる。
「……………ふざっ……けんな………っ」
 差し出された白い指に、犬飼が歯を立てた。
 朱。凶々しいくらいに鮮やかな朱が、白い歯茎と指を汚していく。
「ふーん……」
 破けた肉がぎりりとした痛みを訴えるが、心は冷たいほどに凪いでいた。
 体が満たされる度に、こうして原因不明の空虚さが身の内に降り積もっていく。結局のところ思い通りになるのはカラダ一つの欲望だけで、本当は自分が何をしたいのか、それすらも良く分からない。
 ――――解らないから、繰り返す。

「――――そんなに、俺が好き?」 
 芭唐は犬飼の耳元にそっと忍び寄ると、呪文のように、囁いた。
 びくり、と犬飼の体が竦んだ隙に、血を流した指で口腔をまさぐる。綺麗に並んだ歯列の裏を、未だに熱い舌の隙間を、凶暴な朱で汚染しながらくまなく侵す。
「……だったら、笑ってやるけどな」


 生ぬるい鉄の味で思い切り喉をやられて咳を繰り返す犬飼を、芭唐はぼんやり眺めていた。体も心もベッドの上に投げ出して、ただ広い背中が揺れるのを見ていた。自由になった両の指先が痺れてだるい――――だるいのはさんざんヤッたから――――ヤッタから喉が渇いた――――冷蔵庫の中に、何かあったっけ。
 まとまらない思考のまま、血の止まった傷口を舐めた。



 午前4時43分。
 夜はまだ、明けない。