3.
そして百年がたったある日のことでした。一人の美しい王子が、牛に乗ってこの城の近くを通りかかりました。 そしていばらに包まれたお城を見ると、首をかしげて農夫に聞きました。 「やぁ、農夫さん。一つ聞きたいんだけど、あのお城はどうしてあんな風に荒れ放題なんだい?」 「あぁ、どこぞの国の王子様。あれはですねぇ、『いばら姫』のお城なんですよ」 「・・・『いばら姫』?」 「えぇ、あのお城の中には、えらい別嬪さんな姫さんが百年も昔から眠り続けているらしいです。それで運命の王子を待っているって話でさぁ・・・何でも、王子がキスをすれば目を覚ますという話ですよ」 それを聞いて王子様は思いました。百年も経っていたらいくら綺麗なお姫様だってよぼよぼのお婆さんじゃないか、と。 「しかも不思議なことにですねぇ、まったく年を取っていないらしいんですよ。お城の連中も、もちろんその姫さんも」 王子の心を見透かしたように、農夫は言いました。 「・・・こほん。どっちにしろそれは助けてあげないとだね。お城の人がみんな眠っているんじゃ、起こしてあげないと」 王子はこぼれるような笑みを浮かべて、言いました。 「でも、運命の王子でなければお城には入れないんですよ? ・・・それどころか行く手を阻むイバラに邪魔されて、下手したら命が・・・」 「大丈夫だよ、人助けなんだから、神様が味方してくれる」 何の根拠もなく、王子は言い切りました。そしてなおも止めようとする農夫を爽やかに無視すると、来たときと同じように風のようにその場を立ち去りました。
数十分後、王子はお城の前に立っていました。遠くから見るよりずっとお城は大きくて、お城を包み込むイバラはお化けのようです。しかし、王子はひるみませんでした。 「うーん、もしこれだけ大きなお城のお姫様と結婚したら、父上も母上も喜んでくれるだろうなぁ」 わりと現実的な算段をしながら、お城の階段を上っていきます。すると、目の前を邪魔していたイバラがまるで生き物のように動いて、王子に道をあけました。 「・・・やっぱりね。思ったとおりだ。やっぱり神様は僕の味方のようだ」 美形じゃなければ許されないような発言を繰り返し、お城の中へと進んでいく王子の行く先で、イバラがどんどん退いていきます。 「お邪魔します」 みんな眠っているお城とはいえ、他人の家です。育ちのいい王子はきちんと挨拶をして、お城の門をくぐりました。
全ての生き物の眠ってしまったお城は、しぃんと静まりかえっています。まるで時間まで眠ってしまったかのような静寂のなか、王子の足音だけが石畳にひびいていました。 「・・・これは、不思議だな・・・」 お城の中のようすに、王子は目を見張りました。兵隊も、コックも、馬や牛や鳥までもが、みんなすっかり眠ってしまっているのです。 一人ひとり起こそうかな、という気も起きましたが、王子はやめておくことにしました。一般人より、まずは姫です。 そして城内をめぐっていくうちに、王子は姫の寝室へと辿り着きました。
姫の寝室は広くて、豪華な調度品で溢れかえっていました。大きな天蓋つきのベッドは、うすいばら色のカーテンに包まれています。王子はベッドに近付いて、そっとカーテンをめくりました。 「これは・・・っ」 白いイバラの花に囲まれて、静かに眠る姫を一目見た瞬間、王子ははっと息を飲みました。
王子はその姫の顔を良く知っていたのです。
王子は、小さな頃から同じ夢を繰り返し見ることがありました。 それは、どこか遠い国の、知らないお姫様の夢です。 お姫様は愛らしく、足が速く、ダンスも上手で針仕事もそつなくこなし、何より気立ての優しいひとでした。お城の人はみんな姫が大好きでした。 見知らぬお城に迷い込んでしまった幼い王子も、姫をいっぺんに好きになり、毎晩その夢をみるのを楽しみに眠るようになりました。
しかし大人になるにつれ、王子はそのお城の夢を見なくなりました。 大好きな姫に会えなくなるのはとても悲しいことだけれど、仕方が無いと王子は思っていました。今日、このときまでは。
「・・・あれは、このお城の夢だったんだね・・・」 王子は感動に打ち震えながら呟きました。よく思い出してみると、このお城には見覚えがありました。荒れ果ててはいるものの、夢で見たあのお城です。 もう、運命としか思えません。 「・・・姫・・・」 王子は目を閉じると、姫の柔らかな唇にそっとキスしました。
――――――すると。
まず、お城の中に戻ってきたのは『音』でした。 風が木の葉を揺らす音、朝と勘違いした鶏のけたたましい叫び、それからしだいに大きくなっていく人々の声。 しかし、だんだん部屋の外で大きくなっていく喧騒など王子の耳には入ってきませんでした。 愛しい人が、目を覚まそうとしているのです。
長い睫毛がぴくりと震え、王子の見守る前で姫のまぶたがゆっくりと開いていきます。
「・・・ぇ」 「おはよう、僕のお姫様」 姫はしばらく、何が起こったか良く分からない、といった様子で王子を見つめていました。 「・・・貴方は、王子様? ・・・・・・まだ、ここは夢の続きなんっすか?」 王子はそんな姫の肩を抱いて、そっと囁きました。 「違うよ、姫。ここは現実だよ・・・僕は、どうやら君の運命の王子だったようだ」 「え・・・本当に?」 姫は慌てて自分の頬をつねりました。じんわりとした痛みが、これが現実だと姫に教えてくれます。 「痛いっす・・・夢じゃ、無いんっすね」 王子は姫の顔に手をやると、まだ自分の頬をつねっている姫の指をひとつひとつ開かせました。そしてそのまま手を取って、白い甲に優しい口付けを落とします。 「姫、僕と結婚してください」 答えは勿論イエスです。姫は王子をみつめたまま、ゆっくりと頷きました。そして頬をばら色に染めたまま、こう言いました。
「があああああああ」
・・・・・室内に静寂が走りました。
自分でも呆気に取られていた姫は、もう一度何か言おうと口を開きます。 「うがーっ」 しかし、出てくるのはとても言葉になっていない、原始的なかけ声ばかりです。 これはどうしたことでしょう。姫と王子が顔を見合わせていると、突然寝室のドアが開きました。 「姫!! どうしたんですかその声は!!」 そこからなだれ込んで来たのはお妃さまでした。どうやらずっと前から、ドアの前で耳をそばだてていたようです。 「っがぁああぁ」 しかし、姫の声はことごとく人語になっていませんでした。王子も姫もお妃さまも、百年ごしの幸福に突然訪れた変事にすっかり動転してしまいます。 「ザッツテリブル!! これはどう考えても人智を超えています・・・仙人たちに相談しましょう!」 そうお妃様が叫んだ途端、廊下から転がり出るように仙人たちが現れました。こいつらも姫と王子のイチャイチャを見ようと出歯っていたのです。
「HAHAHA〜、こりゃこまったNe!!」 「だから笑っとる場合じゃなかとよ、って何度言わせれば気がすむんね、虎鉄は」 「・・・・・」 「N? 何か思いあたることがあるのKai?」 「・・・・(こくこく)」 「えーっと、何々? ・・・えーっと、五人目の仙人・・・あぁ、正確には鹿目先輩の使い魔?・・・が、何かあのとき祝福してた・・・あ、そっか。その祝福の効果が今になって来たんだ!!」
何と、悲惨なことに、五人目の仙人の祝福は『喋る言葉がぜんぶ三象語になってしまう』という祝福というより呪いとしか思えないようなものだったのです。
これには仙人たちもお妃さまも弱りはてました。もしも呪いなら、その効果を打ち消すことができるのですが、相手の幸せを願った祝福ともなると、もはや仙人の力では打ち消せないのです。 「ほんっと、悪気が無いだけサイアクだね・・・」 「えぇ、まずもって憎らしい限りですよ。この私が自ら成敗してやりたいくらいです」 「それは止めておいた方がいいっちゃよ。三象先輩のバックには鹿目先輩がいるたい。自分の呪いがうまくいかなかったって知れたら、今度こそどうなるか・・・」 「U〜m、悩みどころだNe!!」 「先輩が悩んでるところなんて見たためしないんだけどなー、ぼく」
仙人たち+お妃さまが車座になって相談していると、廊下からひょっこりと王様が顔を出しました。 「辰、ここにいたか」 「あ、目が覚めましたか?」 お妃さまは王様の姿を認め、びっくりしました。王様は甲冑に身を包み、うしろに12匹のラブラドールレドリバーを従えていたのです。 「・・・ど、どうしたんですか? その格好は」 「・・・とりあえず、目も覚めたことだし・・・猿狩りに行こうと思って」 「そ、そんなことより、聞いてください。姫が大変なんです!!」
立て板に水を流すような、わかりやすいお妃様の説明を、王様は黙って聞いていました。そして、話が終わるとゆっくりと頷いて、「姫は、その王子と結婚するんだな?」とお妃さまに尋ねました。 「はい、そのようです。何か問題でも?」 「・・・いや、だったら大丈夫じゃないかと思って」 「・・・え?」 王様は黙って、部屋の奥を指差しました。すると、そこには楽しそうに談笑している姫と王子の姿がありました。 もしかして姫は治ったのだろうか――――――そう思って駆け寄るお妃様の耳に入ってきたのは、こんな会話でした。
「うがーっ」 「あはは、そうか。それで君は100年も眠らなくちゃいけなかったんだね」 「・・・がぁ」 「そんな、別に恥ずかしいことじゃないよ。糸巻きをしらなかったことなんて・・・それに今となっては感謝しなくっちゃね。その事件がなければ、僕らは出会えなかったんだから」 「・・・がぁああぁ」 「ん?・・・・僕の国の話かい? そうだな、僕の国はとても緑が豊かなところでね・・・・」
姫は少しも治っていませんでした。 しかし何故か、会話は成立していたのです。
「A〜HA!! これぞ愛の力ってやつだNa!!」 仙人たちもようやく、状況を把握してきました。 「・・・どうやら、姫の言っていることが、あの王子にはわかるようですね」 お妃様も、胸をなでおろしました。長い目でみれば何かしら対策を立てなければなりませんが、これなら一応は安心です。 「こうしてみるとお似合いの二人っちゃねぇ」 「・・・(こくこく)」 それもそのはずです、二人は仙人のお墨付きの運命のカップルなのですから。 「して、王よ。結婚を認める也?」 「・・・もちろんだ」 王様は一も二もなく頷きました。お妃様も、大賛成です。
こうして両親にも許されて、姫と王子はめでたく結婚式をあげました。 お妃さまの計略で六人目との仙人とも和解し、いつまでも平和で豊かな王国で、二人は末永く幸せに暮らしましたとさ。
おしまい、おしまい。
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