第1話
ある日の放課後―――
十二支高校体育館の裏に、三つの人影が有った。 猿野天国、辰羅川信二、そして鹿目筒良。十二支高校野球部に所属している以外は、学年もポジションも共通点の無い三人である。
「どうしたんすか、ほっぺ先輩。こんなところに呼び出して」 「・・・うん、じつはお前らに、話があるのだ」 「話・・・ですか?私たちに?」 「そうなのだ。お前たち以外に考えられないのだ」 「??・・・オレらしか考えられないって・・・あ、もしかして!!」 「そうなのだ。あの男のことなのだ」 『あの男』といえばもう一人しかいない。猿野と辰羅川の脳裏には瞬時にある人物が思い浮かんだ。
野球部主将、牛尾御門。野球に関しては猿野も辰羅川も文句なしに一目おいているが、私生活の面においては色々な意味で常軌を逸している十二支高校一の変わり者だ・・・というのは今年から入った一年の意見である。前々から牛尾を知る二・三年の面々が『あれでも今年に入るまではもう少しまともだった』『今年の一年に会うまではせめて蛇神レベルの浮き方だった』などと言っていることから、どうやら今年に入って牛尾の行動がおかしくなり始めたというのは間違いないらしい。 そして、その理由についても一人を除いた野球部の全員が知っていた。
恋、である。
「また何かやらかしましたか、あの色ボケ先輩は!!」 「まだやらかしていないのだ。でも、これからやらかしそうなのだ。だからお前らに相談しに来たのだ」 「鹿目先輩が私たちに協力要請を・・・これは未だかつて無い事態ですよ。牛尾先輩はいったいなにをしようというのです・・・?」 「うん、それなんだが・・・」
遡ること二日前。 「おはよう、蛇神くんに鹿目くん!! 今日も野球はラブかい!?」 いつも朝一番から無駄にさわやかな牛尾は、その日も背中いっぱいにロマンスフィルター(逆光)を背負って登校してきた。しかし、その姿を一目みるなり鹿目と蛇神は一瞬固まってしまった。 「・・・おはようなのだ」 「・・・牛尾よ、何が有った?」 「え!? 何かいつもと僕は違うかい!?」 鹿目と蛇神は顔を見合わせた。傍目からおかしいのはあきらかなのだが、本人は気づいていないのだろうか。 「違うもなにも、髪型がいつもと左右逆なのだ。それは天然ものじゃなかったのだな。合宿の風呂でも形が崩れないから、牛尾はヅラなのだと思っていたのだ」 さり気にひどいことをいいながらも、鹿目は牛尾の顔をまじまじと見直した。よく見ればおかしいのは髪形だけではない、心なしか頬もピンク色に染まっていたし、目は潤んでいるようにさえ見える。 朝っぱらから理由も無いのにこんな恋する乙女のような状態になっているのは、ぶっちゃけ薄気味悪い。 「いや、これは寝癖だよ? やっぱり緊張してると人間、体に出てしまうものなんだね、朝起きたらこうなってしまっていたよ!!」 「・・・して、何を其れ程に緊張している」 「さすが蛇神くん、僕の親友だね、髪型の些細な違いで僕が緊張してるってわかるなんて!!」 「今さっき自分で『緊張してる』と言ったばかりなのだ。今日の牛尾は髪型だけじゃなくて中身も変なのだ。まるであのバン―――」 みなまで言わせず蛇神は鹿目の口をふさいだ。牛尾はその名前が出るだけで、テンションがロケット花火のように急上昇していって周りの人間には手がつけられなくなるのだ。 「実は今日、僕はすばらしいことを思いついたんだ!! 二人とも聞いてくれるかい!?」 「断る」 さすがに蛇神は牛尾との付き合いが長い。この男がやたらに嬉しそうに何か思いついたときは、碌なことがないというのを学習していた。 「子津くんのことなんだけどね!!」 しかし、牛尾もなかなかどうしてである。恋愛絡みの話題では常軌を逸した根性の図太さを発揮するのだ。
「決闘を、申し込もうと思うんだ」
あまりにも軽やかに口に出されたその一言に、二人とも『あぁそう』と普通にスルーしそうになる寸前でとどまる。しかし口にした単語のものものしさとは反比例して、牛尾はにこにこといたって明るい笑顔を浮かべていた。 「・・・今、『結婚』と言ったのだな? それならまだわかる。僕は一瞬、決闘と聞き間違えてしまったのだ」 いや、それでもわかんねぇよ、とツッコむまともな人員が三年生にいないことも、牛尾の暴走を助長しているのだ。蛇神はそう思った。 「・・・ぇえ!!!? 結婚!? イヤ、流石にそれはまだ早いよ。僕たちまだ高校生だし、ご両親にも挨拶に行かなくちゃだし―――まぁゆくゆくはそうしようと思ってはいるんだけど、そうすると僕が養子にいくことになるのかなぁ。子津くんはご両親を大切にするタイプだし・・・あ、でも式では僕のほうがタキシードを―――」 「落ち着く也。未だ交際にも至らぬうちに妄想の翼を広げるな」 自分勝手な未来予想図を心のキャンバスに描き始める親友を、蛇神は軽くいさめる。 「あぁ、そうだね。まずは若者らしく爽やかに結婚を前提としたお付き合いからはじめないとね。まず一週間で手を繋いでキスまで一ヶ月、まぁ目標としては一年以内に・・・」 「とらぬ狸の皮算用はその辺にしとくのだ。頭の弱い子みたいで見てるこっちが可哀想になってくるのだ」 「そこが悩みどころなんだけどさぁ、君たちはどう思うかい? 告白するときに結婚を考えてくれとあらかじめ言っておくべきなのかな?僕は今の子津くんが好きで、昔の子津君のことも考えるだけで軽くご飯三杯はイケるし、未来の子津くんのことだって休む間もなく愛せると思うんだけど、今の子って恋愛観やなんかが刹那的だって言うじゃないか。こういうことを言うと逆に引かれたりしないかなぁ?まぁ子津くんに限って、貞操観念が無いなんてことは無いと思うけどね!! 僕は子津くんを信じているから・・・」 なおも何か言い募ろうとする牛尾を手で制して、鹿目はさっきから気になっていたことを尋ねた。 「じゃあ結婚を申し込むわけではないのだな。決闘で正しいのか?」 「もちろん!!」 全身全霊を込めて肯定されて、余計に頭がこんがらがる。どうしてそういう話になるのだろうか。いつものことながら牛尾の思考回路ははかりしれない。 「何故お主が子津殿に決闘を申し込む也。お主は子津殿に好意を寄せているのであろう?」 「え、いやだなぁ。僕が可愛い子津くんに対して決闘なんて出来るわけないじゃないか。もうすでに彼の存在自体が僕を負かしているんだからね」 「じゃあ、一体誰と決闘をするつもりなのだ?まさか僕らじゃないだろうな?」 冗談半分でたずねた鹿目に返ってきたのは、ツンドラ気候の吹雪のように冷たい牛尾の視線だった。 「・・・鹿目くん・・・まさかと思うけど、君も子津くんを・・・・」 ゴゴゴゴゴゴ・・・・とダイダラボッチ(byものの○姫)ように膨れ上がっていく暗黒の気配に、鹿目は思わず身を振るわせた。そして牛尾の手にどこからともなく現れたトンボが握られるより早く、必死で首を横に振る。 「断じて違うのだ!! お前と一緒にするな!!」 「そうか、残念だ。鹿目くんとなら奪い合い甲斐かあると思ったのになぁ、ふふ」 「爽やかぶるな!! 今、僕を思いっきりそのトンボで殴ろうと思ってただろ!!」 「ははははは・・・何を言うんだい? 僕らは友達じゃないか」 一瞬前の邪悪さとは打って変わった溌剌とした笑顔を見て、鹿目は自分と野球部の将来が心配になる。こんなヤツと友達で、こんな人間が主将で大丈夫なんだろうか。 「して、本当は誰に決闘を申し込む心算なのか?子津殿関係ならば我らではあるまい。一年の誰かであろう?」 「・・・・ふふふ・・・それなんだけどね」
「・・・で!? 誰なんだよ、キャプテンに命を狙われてる一年っていうのは!!」 「それが・・・わからないのだ」 「・・・わからないって」 「今度ばかりはアイツも口を割らないのだ。誰が血祭りにあげられることやら・・・」 ごくり、と二人は生唾を飲み込んだ。牛尾の子津への愛情の注ぎっぷりはもはや部の名物と化すぐらいにエスカレートしていて、子津と仲の良い一年レギュラーはみんなシゴキの名を借りた嫉妬の洗礼を受けているのだ。普通に妬かれるだけでもしんどいというのに、これで決闘と言ったら本当に血祭りにあげられかねない。 「でも、ある程度予想はつくのだ。お前たちのどちらかじゃないかと、僕と蛇神は思っているのだ。だから警告に来た」 「ジャストアモーメント!! 子津君と仲の良いの猿野君が血祭りにあげられるのはわかりますが、なぜ私が?」 「それはお前がキャッチャーだからなのだ。犬飼と組んではいるけれど、子津の練習にも付き合ってやってるだろう?キャッチャーとピッチャーは良く夫婦にもたとえられるし、それでだ」 「・・・そんな理由でですか・・・?」 「でも、この間お前とバンダナくんが話をしているのを、牛尾がじーっと見ていたのだ。何かブツブツ言ってるようなのでこっそり近づいたら、『モミモミモミモミモミモミ・・・』とか呟きながら爪先でグラウンドを抉っていたのだ。普段グラウンドが恋人だと言っている牛尾がそんなことをするなんて、相当怒っているに違いないのだ」 「・・・・こわっ!!」 「・・・なんで私が。冤罪です!! 誤解です!! 讒言です!!」 「・・・とにかく、二人とも気をつけるのだ。今度の牛尾は本気なのだ」 肝が潰れるようなおそろしい忠告をするだけすると、クスクス・・・というお決まりの笑い声も残さずに鹿目はその場を去って行った。 「まじかよ〜・・・何だよあの人、絶対変だよ〜、ありえねーよ」 「困ったことになりましたね、本当にデンジャーですよ。これでは甲子園の土を踏むどころか、十二支高校のグラウンドに人知れず埋められてしまいそうです」 今まで子津絡みでさんざん牛尾と対立してきた猿野も、まじめな子津を前々から快く思っていた辰羅川も、まさか子津と仲良くするのを止めようとは思わなかった。しかし、このまま普通に仲良しさんをしていたら、最近ますますデンジャラスになってきた先輩に殺される日も遠くは無い。 「・・・どうしたもんかなぁ、あの人も・・・」 珍しく二人そろってついたため息は、茫洋とした春の空に吸い込まれた。 もうすぐ夏が来る。それまでに死ぬのだけは避けたいなぁ、と思った。
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