第6話
何かを成し遂げた後には、最高に爽やかな朝が待っている。
次の日の野球部の朝練は、とても朗らかな雰囲気だった。主将の牛尾がおかしなくらいハイテンションで、いつもよりずっと寛大なのだ。
もちろん上機嫌なのは牛尾だけではなかった。結果的に二人の橋渡しをした猿野も、自分の計画がうまくいった辰羅川も、そしてウッカリ思いの通じてしまった子津も、みんなそれぞれに明るい顔をしていた。約二名、影を背負った人物もいたのだが。
夏に向けてだいぶきつくなった朝の日差しの降り注ぐグラウンドで、球児たちは今日もいそいそとトンボかけに勤しむ。猿野はその中に子津の姿を見つけると、今日こそは牛尾の監視を気にせずに近づいていった。
「よっす、おはよー、ねずっちゅー!!」
「あ……猿野くん、おはようございます」
子津はトンボかけの手を止めて微笑んだ。なんとなく昨日とは違う笑顔に、猿野もつられてくすぐったくなってしまう。
「へへへ……昨日は悪かったなぁ、大事なところ邪魔しちゃってさ」
「さ、さ、猿野くんっ、何言ってるんすか、もう!!」
「………閉じ込めちゃったりして悪かったなー、とは思うんだけど………結果的に良かったんだから、ま、許してやってくれや」
「あぁ、それは別に怒ってないっすよ、だって―――――あ、辰羅川君」
猿野が振り向くと、そこにはのぼりたての太陽を背に受けて歩いてくる辰羅川の姿があった。機嫌のよさが足取りにも表れていて、もみあげも心なしか元気に見える。
「グッドモーニング、諸君。とても爽やかな朝ですね」
「おっすモミアゲ番長、今日もむやみに爽やかだな!!」
「おはようございます、辰羅川君………今日は、犬飼君は?」
「朝練は休むそうですけど、放課後の練習からは出られるそうですよ。昨日お見舞いにいったらやはり風邪だと言っていました。
なにやらガタガタ震えていらっしゃったから、大事をとってもう一日休んだらどうだと言ったのですが……」
辰羅川はそう言うと、少し表情を曇らせた。心配っすねぇ、と子津も相槌をうつ。
「へー、馬鹿は風邪引かないって迷信だったんだなぁ」
「…………いいえ、私は真実だと思いますよ」
「しかしそれでお前、昨日は先に帰ったんだなー」
完全に皮肉をスルーされた辰羅川は、わざとらしく咳払いをすると猿野の方へと向き直った。
「昨日はお疲れ様でした、猿野くん」
「オイオイモミー、お前のせいで本当にお疲れ様だったんだぞ・・・・・・たく、計画たてるんだったら最後までちゃんとしろよな。オレがいなけりゃ多分、用務員のおっさんが来るまでずーっとコイツら進展なかったぜ」
「・・・・・・・・・失礼な、そんなはずはありません。私の計画は完璧です」
辰羅川の眼鏡がキラリと光った。
「よく考えてみろよー、恋に対してだけはミョ−にアナクロなキャプテンと、恥ずかしがりやのねずっちゅーをさぁ、ただ一緒に同じ空間に入れといても何か起こるわけないってばよー、なぁ?」
それを本人に聞くのもどうかと思うが、猿野はくるりと子津の方を振り向いた。すると子津ははにかみながら、それでも花の開くようにふわりと笑う。
「・・・・・・・・そうっすね」
「ほらー、な? モミの計算はいまいちあまい―――――――」
「――――――でも、ただ同じ空間にいたわけじゃないですよ」
「え?」
驚いて聞き返すと、子津はまたにっこりと笑った。さっきよりずっとはっきりと、しかし何か企んでいるかのような悪戯な表情で。
「だって僕、知ってたっすから。キャプテンがそのぅ・・・・・・・・・・・・・・・・・って」
「え?」
「・・・・・・・・・・私とて、何の策も弄せずにただ偶然に任せてたというわけじゃないんですよ、猿野くん」
「え?え?」
「でも、自分から告白するなんて、恥ずかしいじゃないっすか。だから辰羅川くんが二人っきりになるチャンスを作ってくれたのは、渡りに船っていうか・・・・・・・・」
「え?え?え?」
「いえいえ、本当はおせっかいじゃないかと思っていたんですよ。ですが私達も生活、というか命がかかっておりましたからね。策士策におぼれる、ということにならずに本当によかったで――――――――」
「ちょっと待ったぁぁぁー!!」 「ねずっちゅー、お前キャプテンの気持ち知ってたのか!?」
「あ、はい・・・・・・・」
「そしてモミ−!! お前、昨日の計画ねずっちゅーに話したのか!?」
「えぇ、ハッキリ『主将が貴方のことを好きだから、二人きりにしてやるのでくっついてくれ』とは申しておりませんがね」
「っつーことはお前たち、最初から計画どおり!?」
「ハイ」
二人の声が、重なった。
猿野の努力⇒無駄。昨日の死闘⇒無駄、決定。
「ねーずーっちゅー!!」
爽やかな朝をドス黒く染めるがごとく、猿野の背後から魔界の瘴気が沸き出でる。そのあまりの剣幕に、呼ばれた子津だけでなく辰羅川までもが居住まいを正した。
「は、、ハイ!!」
「お、お前と言う子はー!! お父さんはそんな腹黒い子に育てた覚えはありません!! そこにお坐んなさい!!」
「え・・・・・・」
「いいからそこにお坐んなさい!! 愛のトンボをくれてやる!!」
しかし、子津が怯えてグラウンドに膝をつく前に、猿野の後頭部に容赦のない天誅が加えられた。
犯人は振り向くまでもない、あの人だ―――――――
「・・・・・・・・全く、ちょっと目を離すとこれだ。やっぱり君は油断ならないね・・・・・・・・よし、猿野くんは追加でグラウンド30週だw」
「しゅ、主将・・・・・・・・」
「おっと辰羅川くんもおしゃべりはイケナイぞ★ 追加でグラウンド20週だねw」
「わ、私もですか!?」
とばっちりで罰をくらってしまい、青ざめている辰羅川を尻目に、牛尾は子津の肩に手をおくと、年下の恋人にむけて微笑んだ。
「おはよう、子津くん」
「・・・・・・・おはようございます、キャプテン」
「いい朝だね、今日は。けど残念だよ。本当は僕が一番に『おはよう』って言いたかったんだ」
「・・・・・・・・・あ、じゃぁ・・・・・・・・その、明日は・・・・・・・・」
「うん、君の家に迎えに行ってもいいかな。その、車じゃなくて、自転車で」 恋する二人がいればそれだけで、ラブ・ストーリーは始まってしまう。
それがたとえちょっと腹黒い可愛い子ちゃんと、恋愛が絡むとちょっと凶暴になってしまうパーフェクトボーイの場合であろうとも。
「・・・・・・・・はい、一緒に、行きましょう」
恋する二人が見つめあえばそれだけで、ラブ・ステージの幕は上がってしまう。 それがたとえ朝練の真っ最中の、汗まみれの野球部のグラウンドであろうとも。背後に頭にトンボの突き刺さったままの、猿野天国くん(享年16歳)の遺体が転がっていようとも。
「・・・・・・・どうやら辰羅川殿も読みが甘かった様也」
「そのとおりなのだ。あの牛尾が両思いになったくらいで、嫉妬メラメラバーニングじゃなくなると思ったら大間違いなのだ」 涙の滂沱でグラウンドを濡らしながら走る辰羅川を遠目に見ながら、鹿目と蛇神は溜息をついた。
「・・・・・哀れ也」
「それをいうなら子津の方がかわいそうなのだ。あんなヤキモチ焼きが恋人だと、きっとこれから苦労するに違いないのだ」
「――――して、結局、牛尾が決闘を申し込んだのは―――――」
「犬飼くんだよ」
背後から突然聞こえてきた声に二人が驚いて振り向くと、そこにはいつもと同じ・・・・・いや、いつもより1,5倍爽やかな表情の牛尾が立っていた。子津とのラブラブモードはいつの間にか中断していたらしく、彼の恋人はグラウンドの向こうで用具を片付けている。
「・・・・・・・・牛尾、ご機嫌だな」
「やぁ、わかるかい? 嬉しいことは顔に出てしまうものなんだね・・・・・・・ははっ、照れるなぁ」
「――――ちょっと待つのだ。昨日犬飼が休んでいたのはそういうカラクリか・・・・・・でもどうしてなのだ?僕は同じピッチャーで一緒に練習してたが、犬飼は別にバンダナ君にちょっかいは―――――――」
「そうだね、君もピッチャーだったね。悪は芽のうちに摘んでおくのがいいって言うし・・・・・・・」
再びゴゴゴゴ・・・・・という暗黒のオーラを撒き散らし始める牛尾に、今度は蛇神が卒塔婆で一撃を加えた。
「誰も彼も主と一緒にするな。して、何ゆえ犬飼殿を?」
「痛いなぁ、蛇神くんてばときどき冗談通じないよね・・・・・・・・・だってホラ、こないだの練習中のことなんだけど―――――」
遡ること数日前―――――。
その日の朝は突然の雨が降って、折り畳み傘などという非常手段をもたない犬飼は雨にぬれて学校へやってきた。そして午後の練習の頃にはそのせいで体調を崩し、ときおり咳をしながら投球練習をしていた。
『・・・・・・犬飼君、どうしたんっすか? 風邪っすか?』
それを同じ投手仲間の子津が心配して顔をのぞきこむ―――――それくらいなら、良かった。さすがに牛尾の堪忍袋の緒もその程度のことで切れるほどやわではない。
しかし―――――
『ちょっといいっすか・・・・・・・・・わぁ、熱があるっすよ・・・・・・今日は練習はこのくらいに――――』
『別にこれくらい大したことねぇよ・・・・・・・・・』
次の行動がNGだった。牛尾(望遠モード)の見ている前で、子津はあろうことか自分の額で犬飼の熱を計ったのである。まさか、数十メートルむこうで自分の思い人が見ているとも知らずに。
「―――――と、言うわけで、僕はまずいと思ったんだね。猿野くんや辰羅川くんには悪いけど、犬飼君は彼らに比べて数段カッコいいだろ?人を外見で判断するのはよくないけれど、やっぱりカッコいい男と好きな人が仲良くしてたら闘争心に火がついちゃうのが男ってものじゃないか」
輝く白い歯をみせて微笑む友人に、蛇神は大きな溜息をついた。
「犬飼殿・・・・・・・哀れ也」
そしてその気は微塵もなかったであろう哀れな被害者の家の方角を向き直ると、心のこもった黙祷を捧げる。
「犬飼くんもかわいそうだったけど、僕の子津くんに手を出そうとしたんだから仕方ないよね」
「付き合って一日で『僕の』呼ばわりとは、よくよく牛尾もずうずうしい奴なのだ」
「・・・・・・・・鹿目くん、もしかして君はやっぱり子津くんのことが・・・・・・・・・・・・」
「馬鹿は休み休み言うのだ!!あ、なんだそのトンボはっ・・・・・・・・!!」
暴走して友人をまた一人グラウンドに沈めんとしている牛尾を、子津は遠くから見守っていた。
『・・・・・・・・あ、キャプテン、またやってる・・・・・・・・ふふっ、やっぱり僕、元気なキャプテンを見るのが好きっす』
―――――――――のちに十二支高校最高のバカップルといわれる彼らの、記念すべきお付き合い第一日目が始まろうとしていた。
おしまい。 |