Super Utility Darling
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第5話

 

 一秒ごとに濃くなっていく夜の気配が、二人の口を重くする。もともとお互い緊張していたので、余計に言葉が接ぎにくい。
 話したいことは山ほどあるにも関わらず、三十分もたたないうちに二人は黙り込んでしまった。

「―――あの、」
「―――キャプテン、」

 子津と牛尾の声がハモった。
「あ、どうぞ、キャプテンの方から………」
「いやいや、子津くん、君の方から話してくれないか。僕の方はあとでも大丈夫だから」
「………あ、はい。
 あの、ひとつ聞きたかったことがあるんっすけど………」
 上目遣いに牛尾の方を伺いながら口ごもる子津に、牛尾は破顔した。
「はは、そんなに緊張しないで。たしかに僕は学年は上だけど、野球部員として野球を愛する気持ちは子津くんたちと一緒だよ。
 だから、その………もっと、リラックスしてくれると、嬉しいな」
 それはそのまま、自分自身に対する言葉でもあった。完璧なポーカーフェイスからは計り知れないくらいに、二人の状況に牛尾は緊張している。
「………はいっ………やっぱりキャプテンは、優しいっすね………」
「………出来ればいつも優しくありたいと思うんだけどね、最近そうも言ってられないというか、ついつい他人に優しく出来ないときが有るんだよ………困ったものだね」
「え?」
「あぁ、なんでもない。独り言だよ………それで、僕に聞きたいことってなんだい?
君の質問だったらいつでも受け付けるよ?」

 それでもすんなり出てこない子津の言葉を、牛尾は辛抱強く待った。
「………あの、ですね。
 キ、キャプテンは、とっても野球が好きですよね」
「うん。愛しているよ」
「そ、その、グラウンドが恋人って、いつも言ってますよね」
「そうだね。野球を愛する者にとってはグラウンドやボールへの愛は必須のアガペーといっても過言ではないだろうね………」
 牛尾はそう言うと、深くため息を吐いた。何もボールやグラウンドだけではない、目の前の愛しい人に心臓の半分を持っていかれてしまったかのように、どうにも落ち着かないのだ。
「あの、じゃぁ、じゃぁ…………こんなこと聞いたら失礼かもしれないんすけど…………………こ、恋人とか、いないんですか?」
「え? ……………恋人はグラウンドだよ…………?」




『だぁ〜!! そういうこと聞いてんじゃねぇよこのボケ!!』
 途切れがちな言葉で語らいあう二人の後方3m、半開きになったままの小さな喚起窓から顔を出したまま、猿野は心の中で叫んでいた。
『だいたいなんだお前ら、さっきから40分ちかくもどうでもいい話ばっかりしやがって中学生日記じゃあるまいし、思春期の男子たるものそれでいいわけねぇだろ!! もっとムーディーな話をしろ!!』
 自分がムーディーな話をした経験もないのにいっぱしの野次を飛ばしながら、猿野は考えた。
 この分では見回りのおじさんがやってくる20分後までに、彼らがいい雰囲気になるのは絶望的だ。ここは友情のために、自分が人肌脱いでやるべきではないか。

『しかし人肌脱ぐったってなぁ………ねずっちゅーが怖がるようなモンでも出して、キャーとか言って抱きつかせるか………? でもねずっちゅーの嫌いなモン、天変地異だからなぁ、オレにどうしろと…………』

 猿野はあまり良くない頭で、どうにか天変地異を起こす方法を考えた。
 古今東西天変地異といえば、地震カミナリ火事親父。この中で人為的に起こせるのは火事くらいだが、さすがに人のいる倉庫に放火はマズい。次点で何とかなるのが親父だが、無関係な天国パパを召喚したところでどうにかなるという話でもない。
『うーん、オレ様ほどのスラッガーなら、このくらいのボロっちい倉庫くらいなんとか揺らせるんじゃねぇか?』
 建造物をかなり舐め切った考えだが、とりあえずモノは試しだ。猿野は人工的に地震を起こすべく、倉庫をぶん殴るべき得物を探すことに決めた。
 せめて子津が嫌いなモノが幽霊だったら、明美霊にチェンジして脅かせるのになぁ………そんなことを考えながら、猿野がグラウンドに戻った時である。今の彼にとって非常に都合の悪いものが向こうから歩いてくるのが見えた。


『い、一宮先輩………っ!!』
 それは最近すっかり影の薄くなった、眼鏡の素敵な三年生だった。


 彼はまた彼なりに、目立たないところで悩んでいたのである。
 去年まで十二支高校は完全年功序列制をとっていた。その為二年生である鹿目や彼には、登板の機会はほとんど無かった。
 三年になればきっと、そう思って地道な努力を続けてきたのにいざ三年になってみたら今度は実力制に変わってしまい、しかも彼は敗れた。同学年の鹿目にならまだしも、ソフト上がりの一年坊主にである。
 悔しい、という言葉では言い尽くせない程の敗北感。二番手ならば二番手なりに、ささやかに守っていたプライドもズタズタだ。
 しかし一時は野球を辞めようかと真剣に考えたものの、やはり彼は野球を嫌いになれなかった。
 もう自分は引退間際の三年生で、今から実力をつけても甲子園には間に合わないだろう。そうは思ったが、中途半端な努力で自分の野球人生を締めくくることは出来ない。たとえ花を咲かすことは出来なくても、精一杯やったと心の底から言える自分であろう、そういうプライドも有るのだと彼は気付いた。

 ―――――と、言うわけで一宮は今日も人知れず深夜の特訓に励もうとしていたのだが――――

 何故か、邪魔が入った。



「先輩、申し訳ないけどここは通せないんです!!」
「何でだ、猿野!!」
 夜も更けた無人のグラウンドに戻ってきた一宮を待ち構えていたのは、後輩の猿野天国だった。彼は以前の合宿で自分のボールを青空のかなたにすっ飛ばした張本人でもある。
 だから正直、あんまり可愛くない。

「どけっ、オレはオレの特訓をするんだ!! オレのサイドストーリーを生きるんだ!!」
「何言ってんのか分からないですけど、とにかく今日は特訓はカンベンしてください!!」
「えぇい邪魔だ!! 何でお前はいつもいつも、オレの邪魔ばっかりするんだよ!!」
「先輩こそレギュラーでも無いのに、何でそんな張り切っちゃってんですか!!」
「貴様ァァァァァ!! それを言うなぁぁぁーーー!!」
 万力のような力で、一宮が猿野の首を締め付ける。猿野もまけじと一宮に足払いをかけた。
「うわっ、お前、先輩に対してなんだその態度は!?」
 盛大に顔面からグラウンドに突っ込んだが、一宮は執念で猿野の足首を引っ張って共倒れにさせた。
「ぎゃっ!! と、特訓はいいですけど、今日だけは別の場所でやってください!!」
「何で!!」
「今、倉庫でねずっちゅーとキャプテンがいい雰囲気なんですよ!! このカップリングにはオレたちの命がかかってるんです!!」
「他人の恋愛沙汰など知ったことカァァァァ!!」
「先輩、オレの命は!?」
「さらにどうでも良し!!」

 灯りも落ちた夜八時のグラウンドで、二人はくんずほずれつ寝技の応酬にかかった。袈裟固め、逆十字、腕ひしぎ足がため、卍くずし、何で柔道部でもない高校球児がここまで出来るのかという疑問はさておき、死力を尽くした華麗なる技が土のステージの上で繰り広げられる。
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえって言うじゃないですか!!」
「はっ、恋路だって? 野球と恋どっちを取るのかはっきりしろー!!」
「オレは断然凪さんっすね!!」
「お前のような奴がレギュラーだなんて!!」
「くっ………やるな!! しかしここで負けたらオレの苦労が水の泡ぁ!!」
「何!!」

 魂と魂のぶつかり合う激しいバトル。土煙と口に広がる鉄の味が、男たちの戦意を更に高揚させる。そしてその心から搾り出されたような二人の絶叫は―――――

 

――――――当然、倉庫の中にも聞こえていた。



「……………………」
「……………………………………」

 最初から最後まで、ばっちり聞こえてしまっていた。

「…………………………………………………あの」
 気まずい。徹底的にきまずい。二人は探りあうようにお互いを盗み見ては、そのたびにかち合う視線をそらした。
「さ、猿野くんたちの悪戯だったんすね、これ」
 あはは、と乾いた笑いを浮かべながら、子津がようやく口を開いた。
「そ………そうみたいだね。全く、こんな悪戯するなんて、本当に人に迷惑をかける子だな。明日会ったらしっかりお仕置きしておかなくちゃだね」
「………………」
「しかし、一宮くんも頑張ってるみたいでよかったよ。一時は野球を止めてしまうんじゃないかと僕も心配して――――――」
「――――――迷惑、だったっすか?」
「え?」

 突然子津の零した一言に、牛尾はぴたりと固まった。
「………そうっすよね、迷惑っすよね、僕とこんなところに二人きりだなんて…………」
「ね、子津くん?」
「………す、すみません、何だか僕、キャプテンが優しくしてくれるんで、つい嬉しくて………少し調子に乗ってたみたいです。ゆっくり話せて嬉しいなぁなんて…………」
 それだけ言うと子津は黙りこんで、俯いてしまう。
 しかし牛尾は愛しい人の突然の言葉にすっかり気が動転して、たっぷり三分は彫像のように固まっていた。
「ねねねね子津くん!!?」
 俯いた瞳に涙が溜まり始めた頃、ようやく先ほどの言葉の意味を理解した牛尾が子津の両腕を掴んで揺さぶった。
「ああああのね、あのだね、えぇとだね…………僕も嬉しいよ!! ゆっくり話せて嬉しい!!」
「キャプテン………、すみません、迷惑な上に気まで使わせちゃって、ほんと僕…………」
「迷惑じゃない、気も使ってない!! 本当に嬉しいんだよ!!」
「…………ほんと………?」

 顔をあげた子津の瞳が潤んでいるのを見て、牛尾の中で何かが音をたてて崩れた―――――ちなみに理性ではない。
 腕を掴んだ手をもう一歩、勇気を振り絞って背中に回す。抗う気配の無いのを確認してから、ゆっくりと小柄な体を包み込むように抱きしめた。

「……………本当だよ。一緒にいられるのが嬉しくなかったら、こんなことしない」
「………キャプテン…………でも、キャプテンはいつも、僕にはよそよそしくて……………」
「あぁそれは………君が側にいると、落ち着かないんだ。理由は………分からない?」
 ゆっくりと頷いた子津に牛尾は優しい笑みを返した。そして、涙に濡れた頬に手を添えると、熱くなったもう一方の頬にゆっくりと唇を落とす。

「……………あ」

「……………好きなんだ、君のこと」

 このまま止まってしまいそうなくらい激しく脈打つ胸の鼓動が、全ての音を消し去っていく。見詰め合う瞳にはこれまでにないくらい真摯で、どこか優しさを含んだお互いの顔が映っている。子津は頬に置かれた手に、おそるおそる自分の掌を重ね合わせると、

「キャプテン…………僕も………僕も好きっす!!」

 耳まで真っ赤にしてそう叫んだ。
「………子津くん!!」
 薄暗い月明かりの中でひしと抱き合う二人。外の世界から完全に切り離された六畳足らずの倉庫は完全に二人だけの世界だった。もはや壁一枚向こうで起こっている、猿野と一宮の熱い戦いなど二人の耳には届かない。
「………キャプテン………………」
 そしてどちらからともなく、二人は自然に唇を重ねようとした――――そのとき、

「――――――ぅどりゃぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」

 突如、轟音がしてドアが開いた。そしてコンクリートの床に月影が落ちるよりも早く、何やら丸い物体が倉庫の中に転がり込んでくる。
「貴様ぁ、できるな!!」
 それは、猿野の強烈な一撃に吹っ飛ばされて、猫のように転がりながら受身を取る一宮だった。
「まだまだっすよ!!」
 そしてそれを追って、ミサイルのように飛び込んでくる猿野。二人の甘いロマンスに満ちていた空間が、一瞬のうちに汗と肉体のぶつかり合うバトルフィールドに変わっていく。

「…………ふ、二人とも、ケンカはやめてください!!」
 子津は慌てて牛尾の腕からすり抜けると、二人を止めようと駆け寄った。

「……………チッ、せっかくのいい雰囲気を…………」

 猿野はまた一つ、牛尾から重大な恨みを買うのであった。ついでに一宮も。